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あの春の話

2018年02月02日

たかなべギョーザ 武末さんからバトンを受けました、ストロールデザインの古川です。
まんぷくTAKANABEプロジェクトのデザインチームで唯一の町内在住者であります。
そんな私、出身は神奈川県藤沢市。高鍋に移住して今年で12年になります。
家内の都合でこの町に移住した訳ですが、話すと長くなるのでこれはまたの機会に。
高鍋に住んでみて「いいな」と感じることは沢山あるのですが、ひとつ取り上げると小さな面積に全てがギュッと詰まっているところ。まちの人たちとの関係もギュッと詰まっていて、まるで「町民全員となり近所」みたいな心地よい感覚です。
もともと高鍋の事はほとんど知りませんでしたが、移住するずっと前に「高鍋」を意識した事がありました。
それは丁度20年前、1998年 第70回 選抜高校野球大会、そう「春のセンバツ甲子園」です。この大会は神奈川県の高校野球ファンなら誰もが「あぁ、あのセンバツね!」という大会でした。なぜなら松坂擁する横浜高校と、日大藤沢高校の二校が出場し、この二校が共に好成績を収め(横浜優勝)、初の決勝神奈川対決を期待していたからです。
さらに日大藤沢高校は私の実家から目と鼻の先なんです。そりゃもう普段野球に興味がない家族も近所も大盛り上がりでした。
そんな日大藤沢にベスト4をかけ立ちはだかったのが、高鍋高校だったんです。当時の高鍋高校は丁寧に繋ぐコンパクトベースボールで粘り強いチームだった印象です。試合はもつれ、延長10回サヨナラという劇的な幕切れ。記憶に残る熱戦でした。
余談ですが、この日のスタンドに当時高校3年生の家内がいた事を後に知った時は鳥肌がたちました。
さらに当時の高鍋高校のキャプテンは今期まんぷく事業に参加してくださる「仕出しのおざわ商店」小澤正隆君。家内とはお隣さんの幼馴染です。そりゃそうです。4番バッターの魚屋さんも、俊足巧打のスポーツ用品店も、あの人も、この人も、なにしろみーんな「となり近所感覚」ですから。
そんな「町民全員となり近所」なコンパクトシティ高鍋の心地よさは、先人から「丁寧に繋ぎ」紡いだ歴史と、「となり近所的チームワーク」なんだな、と思ったりします。
あの春の高鍋高校の様に。

さて次のバッターは餃子界のクリンナップの一人、馬渡陽一郎さん、よろしくお願いします!